今、日経新聞の「私の履歴書」に
磯崎新 という建築家が登場しています。
新聞を切り抜いて、全シリーズをファイリングしています。昭和の時代の、現代建築を理解する時には欠かせない建築家です。
丹下健三も亡くなり、
黒川記章も1昨年亡くなり、どんどん昭和のエポックメイキングな建物を創った建築家が亡くなっていっています。彼らに匹敵する、建築家もあと僅か。
磯崎新もそのうちの一人。我々の世代は磯崎さんの書いた本を読み、少なからず、影響を受けた世代です。 磯崎さんの理屈っぽい哲学のような難解な本を読まされ、それで建築が解ってしまったような錯覚に陥らされた世代。笑 私の卒業設計なぞはまさしく、
群馬の近代美術館にそっくりな建物だった。笑 まさか、あのとっぽい先生らには解るまいと鷹をくくっていたら、即効でばれたという恥しい記憶がある。
新聞の今日の記事は大阪万博の設計あたりの話だが、確か私は当時、小学校だった。行きたかったが、田舎に暮らしていたため、行ける筈もなく、うらやましい気持でTVを見ていた記憶がある。映画「20世紀少年」を見ると、そのあたりの気持ちがよく解ります。笑 私の本箱にもかなり磯崎書が目立ちます。
私にとってはやはり
筑波センタービル、が忘れられない。これが、これからのスタイルになるんだ!意気込みすぎて、当時、私の設計はよくパチンコ屋のような建物になったものだ。笑
残念ながら今は、見る影もないくらい、朽ちはてている。悲
当時ノートや教科書に自分の名前を書くときに必ず自称「ポストモダニスト」と書いていた。恥
あれがポストモダンだのと、騒いでいた当時が今思うと本当に恥ずかしい。若かった。20代初め。 私にとっての磯崎新は「若気の至り」、恥ずかしさで一杯の思い出の原因を作ってくださった尊敬する建築家である。