<   2013年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

私の原点ともいえる作品を手掛けてくれた、監督、病と闘かう

d0153211_11432162.jpg

誰しも、自分の原点と言える建物がある筈。
もちろんそれはひとつとは限らない。
ひとつの建物を完成させる時、数々の苦労があるのは言うまでもない。
「建築とは凍った音楽だ」と言うが、その曲を聞くとあの人を思い出す、という具合に、建物にも、その建物を見るとあの人を思い出す、というのがある。
長い時間をかけて造られていく建築は、音楽よりも、時間軸が長い、始まりから終わりまで、1年もしくは3年というくらい、長い間、ずっとひとつの曲を聞いているようなものだ。
このO君ともそんな絆だろう。
平成元年からの数年、目がまわるようなバブルの時代をともに過ごした。
私は設計担当で、彼は現場担当。私も彼も若かった。
施主の名前と、エベレストに次ぐ世界第2位の山の名にちなんだビル名「K2ビル」
そのあと、SRC造では日本初となったガラスブロック1万個を使用したパネル工法、当時、新工法だった.。「フラットゼセッション」、日本電気硝子株式会社 空間デザインコンペッテション入賞した
これも施主の屋号と、当時、若かった自分を(偏った思考だったが)、古い体制からの分離、独立を意識しての生意気なビル名。
改めて、今でもこの建物を見ると、勇気がわく。
いくら時代がバブルと言えども予算がある、その限られた予算の中で、よく、私のまがままをじっと我慢し、耐えて、デザインを遂行させてくれた。それが、時間が経つと同時に、私も年をとり、いかに大変なことだったかが、今になってようやく解る。まして私も彼も、当時まだ30才前半、今ならありえない規模の建築の担当者である。
私一人でデザイン出来た建物ではない。それを実感させてくれた存在だった。
この二つの建物には、ともに、記念碑が貼られている。
自分の名前と、そして、O君の名前も刻んである。
建物が朽ちるまで、永遠に。
ガンバレ。
[PR]
by sogatoru | 2013-07-31 11:42 | プロフィール | Trackback | Comments(0)

(不夜城と呼ばれる当事務所の)若いメンバーに期待したい(閉店はラーメンショップかいざんよりも遅い)

私が29才の時、初めて設計を任された瑞江の4階建RC自宅付き賃貸マンションOTビルの施主の奥様は、ガンに犯されていた。
ご主人も「最後は新しい家で」との願いもあり、気合の入った設計をした。
完成引き渡しの時、私の手を両手で握り、「終の棲家をありがとう」と涙いっぱいにあふれた目で感謝の言葉を頂いた。私の心の中は、奉仕の精神で満たされた。
これからの設計人生、人を喜ばせる建物つくり、感謝される建物つくりをしよう。 そう心に決めた原点だった。
その奥様は完成翌年に亡くなられた。

それから何年か経過し、
葛西のお客様Mは、すぐに感情的になられる方で、毎週打ち合わせの度に、どなったりわめいたりされ、対応に苦労した。
私も、打ち合わせ途中、何度か、キレそうになったが、ずいぶんとこらえた。
最後は、お酒をごちそうになったり、花火大会に呼ばれたり、良い関係になった。
そのお客様が真っ赤な顔でツバを飛ばしながら「お前にとってはたくさん設計している中のひとつに過ぎないだろうが、俺にとってはこれが最初で最後の建物なんだ」
聞いたとき、確かにそういう態度で接していたかもしれないと、緩んだ気持ち、忘れかけていた原点の想いに対し、ヒャとした記憶がある。
私が実際に現場で感じて、学ぶ事が出来たの、お客様のおかげである。
設計者としての心を、真に、育ててくれるのはきっと、本音でぶつかってくれるお客様に出会えたかどうかではないだろうか?

今、小住宅の現場がいくつかあり、出来るだけ、若いメンバーに任せようとしている。と言っても手放しにはしない、私の事務所だからちゃんとチェックはしないといけないが、私がかつてそうだったように、メンバーにも同じ経験が出来る事を期待したい。
[PR]
by sogatoru | 2013-07-31 11:21 | 独り言 | Trackback | Comments(0)

もうひとつクレームを紹介します


これも先生と呼ばれる職業の方に多い現象です。
かなり昔の話ですが、1階が歯科医院で上階がマンションの建物を設計した時、建物本体と歯科医院の内装だけを切り離して設計しました。
私は建物本体、そして、医療器具の会社が連れてきたインテリアデザイナーが内装を受けました、法令で定められた基準を守るようにインテリアデザイナーさんにお願いするのが私の仕事でした。それは、斬新な設計でした。形も奇抜だし、色は真っ白でした。デザイナーは見た目も俳優のようで、あごひげをまとい、黒い革のブレザーが印象的でした。
その方は黒い革のブレザーの下は裸で、ジェイソンステイサム風でした。私とは全く違う世界の人って感じでした。
まさに、デザイナーっていうのはこういうイメージなのかと、思い知らされました。笑
それで建物はどうなったかと言いますと、震災の影響なのか?かなりクラックも発生し、ところどころ雨水も入っている状況で、悲しい現状でした。
テナント設計は収益が第一優先で、汚れやすい、とか、メンテナンスと言う考えは、二の次で、テナントとしての顔、印象が最優先です。確かに儲からないと、商売は成り立ちません。形が際立っていると、普通ではない分、必ずどこかにしわ寄せが来ます。
結果、エアコンが効かない、換気扇の音がうるさい、ガラスを取り換えるのに、足場がいる、すぐ傷がつく、はがれやすい、汚れやすいとか、さまざまな問題が発生します。
それで、クレームを言いやすい私におはちがまわってきます。笑
テナント工事区分というのがあるのですが、一般の方にはとても解りづらいものです。
完成して数年もたつとデザイナーさんは、本体の建物の問題だといって、受け付けてくれません。そもそもデザイナーさんには資格がありませんし保証期間などもありません。
私は建物全体の設計監理者になっているので、こういう場面がくると、決まって出て行かなくてはなりません。 割に合わない仕事です。笑
建築士はインテリアデザイナーと違って、見えるところだけではなく、見えない部分、隠れてしまう部分に重点を置きます。そして内装屋さんと違って建物と向き合っていく、時間軸が長いのです。建物の性能、機能、はもちろんのこと、工事にかかわってくれた関係業者全員との橋渡しの役割も必要になってきます。特に私のように施工会社の倒産を経験した場合は、外壁の雨もり一つとっても、土工屋、解体屋、タイル屋、防水屋、シーリング屋、とチームワークを計りながら対処しないといけません。
今回、クレームになった原因はあきらかに形にこだわったデザインが原因でした。建物本体の予算を削って、(塗装の品質を落として)、内装費に予算を回したこともその原因のひとつですが、そんなことはとっくに忘れ、「あれだけ説明したのに」というこちらに対し「なぜもっと説明してくれなかったのか?」という具合になります。
[PR]
by sogatoru | 2013-07-16 14:39 | 独り言 | Trackback | Comments(0)

クレームを紹介します



消費税の駆け込み契約案件のせいで、ありがたいことに少し忙しくなっています。
都内のサ高住(高齢者施設)の打ち合わせでのことです。当社の6割が今、この種の建物です。ですから、サ高住の補助金が亡くなってしまったら、仕事は激減することが予想されます。困
当社が請け負っている施設は、たいがいは病院が経営するケースが多いのですが、今回、あまりにも失礼な態度が見受けられたので、お仕事をお断りさせていただくケースがありました。
この手の話は先生と呼ばれる職業の方に多い現象です。
まず当社の名刺をみて、「船橋市の設計事務所ですか?」と、上から目線でお話になり、施工会社も千葉県と聞いて、「大丈夫なの?」と。まるで建築の会社は都内に籍を置いていないと一流ではない、と言わんばかり。聞いていて、隣に座っていた施工会社の営業マンの顔が赤くなっていくのが解りました。施工会社の紹介でこの場にいる当社ですが、このままではケンカになると思い、私のほうから「田舎の設計会社なものですから、失礼させていただきます」と、席をたった。
まるで先月、TVでみた、橋下さんの発言から、討論番組の放送中に席を立った水道橋博士を想いだす光景です。
病院側はいつも、このような姿勢で、下請け業者に向かっていることが予想されます。発注者だから偉いわけでないのですが、こういう環境に長いこと浸かっていると通常の社会観に麻痺してしまうのでしょう。
建築は施主といい関係が保てないと、絶対にいい建物が生まれない。奉仕の精神の宿らない環境では、設計者の能力は100%発揮できません。
たとえ今、我慢してもきっとまたこの先でトラブルになるに決まっている。
撤収するなら早いほうがいい。
施工会社の方も、私が帰った後、すぐに、退散したらしい。
建物つくりとは、いろんな方との協力関係で成立します。それは対等の関係です。
人の命を預かる病院も、建物の安全=人の命を守る設計者である私も、立場としては変わらない筈なのだが・・・・・。
[PR]
by sogatoru | 2013-07-16 14:04 | 独り言 | Trackback | Comments(0)