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デイアコート勝田台竣工写真が出来ました

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晴れ姿です。もう私の建物ではありません。勝手には入れません。娘を嫁にだすと、きっとこんな気分なのかもしれません。
計画当初からだと、1年半が経過しました。
2階建てですがその割には、かなり時間がかかった感じがしています。
サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)と呼ばれる建物です。
病院に併設する施設ですからご家族も、入所者さんも、安心して生活ができます。
静かな住宅地の中にありながら、まだ回りには自然がいっぱい残っているし、本当にいい場所です。
この病院には、工事途中に、私事ですが、父がお世話になったりもし、思い出に残る建物になりました。現場のついでに病棟に寄って、お見舞いに行く。妙な気分でした。
その病室も個室で、一番隅にある、立派なお部屋を用意してくださいました。まるで特別待遇されているかのようで、恐縮しました。
入院中、父は若い看護婦さんに、「あの建物の設計は俺のせがれが・・・・」 言わなくてもいいことをペラペラ言うし、恥ずかしい事も多くありました。
また駐車場でのハプニングですが、BMWに乗っているせいか、私が車から降りた瞬間、「先生、お話を聞いてください」スーツ姿の2人の方からいきなり紙袋に入った手土産を渡され、「中は後でご覧になってください、午後にあるプレゼンの前にぜひお話を聞いていただきたく・・・」とF製薬と書いてある名刺を渡されました。
私も普段、先生と呼ばれる事が多いので、勘違いしてずっとお話を聞いてしまいました。
お医者さんと勘違いしたのを知った瞬間、私が持っていた紙袋を奪うようにし、走って逃げるように・・・・。笑い   あの紙袋の中味はなんなのでしょう?気になります。
そんな、記憶に残るモロモロな出来事があり無事完成できました。
結果、こんな派手な形態のサ高住も少ないのではないでしょうか?
一度見たら忘れられないと思います。老人くさくなく、若々しく、元気に、なれるような施設、いや施設ではなく家と感じられる建物つくりに努力しました。こだわったスカイラインも軽快なくらいジグザグな切り妻形状になり、複雑で、決して単調にはならない形を求めました。最後に、丸監督ご苦労様でした。安川さんご苦労さまでした。
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by sogatoru | 2013-10-08 11:12 | デザイン | Trackback | Comments(0)

世界チャンピオンファンミーティングに参加

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ガッツ会長の肝入りで始まった、世界チャンピオンのファンとのつどい、日本初となるイベントの第一回目に参加させていただき、とても興奮し、光栄でした。
すでに現役、元、合わせると世界チャンピオンが今60数名いらっしゃいます。
チャンピオン全員が一堂に会してファンを、もてなしてくれるイベントです。そしてチャリティー活動も合わせてありました。オークションでは財布の中味がからっぽになってしましたが心は豊かになった気がしました、ゲストも多数参加してくださり、歌謡ショーまである、楽しい時間でした。
開会式のスポーチでガッツさんが、ボクシングのヘビー級チャンピオンとホワイトハウスで一戦交え、その時受けたパンチで左眼を失明した第26代大統領セオドア・ルーズヴェルトの言葉を添えました、「チャレンジすることの大切さ、たとえ失敗したってそれだけのことじゃないか! 努力すれば必ず成功するし報われる。」男の生き様、人生に対する覚悟を魅せられた気がします。
今日、参加した多くの経営者の胸をうつ言葉に、さすが世界の頂点に立つ男は違う、勇気を頂く会でした。
この会場には世界の頂点に立った人が60名以上いると思うと、それだけで興奮を覚えます。
そういう方達とお酒を交わすことが出来るなんて、最高の幸せでした。
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by sogatoru | 2013-10-05 10:58 | 趣味 | Trackback | Comments(0)

9月27日 奥山君さようなら。くしくも彼の51歳の誕生日に通夜です。

やはりブログにこの気持ちを残しておこう
祭壇の上に飾ってある遺影の写真が現場作業着だった、彼らしい
通夜の会場からすすり泣く声が聞こえてきました。
仕方のないことです、若すぎます。
51歳の誕生日に人生の幕を閉じるとは、さぞ無念だろうと思います。
重い空気に包まれた式だった。
「通夜ぶるまい」には故人への供養の意味がありますから、誘われてしまったら、一口だけでも箸をつけるのがマナーだと思い強引にのどに通らせましたが、長居はNGと思い、あいさつをして早めに退席をしました。
通夜には早く行って顔を一目見ようとおもった、30分早めに行ったがすでに3列目だった。
列に並びながら、昔の記憶をたどっていた。

「俺はもう20年くらいはこっちの世界を楽しんでからそっちに行くよ。」
そんな会話を心の中で交わしていた。
不思議に良い思い出ばかりが記憶に残っている。彼の人徳なのか。「こんちくしょう」と思った事が山ほどあった相手だった筈なのに。
20数年前、彼も私も30才そこそこ、彼は現場監督で私は設計担当、当然、予算、やディテール(納め方)、の面でぶつかるシーンが頻繁にあったが、今思えばあの若さで所長を務めるのは大変だったに違いない。当時は自分もテンパっていたから、彼の大変さなどお構いなしだった気がする。

「良い建築」を作る、それが私の使命だと感じていた。それはつまり「社会に奉仕する」という意味だった(私の座右の銘Architect as servant)(大きな声では言えないがデザインは私の仕事、会社の利益など二の次で、それは奥山君の仕事みたいな・・・今は反省している)
これが、当時まだ入社3年目だった幼い、私の建物に対する甘い考えだった気がしている。
彼の良い建築とは「会社から良いと認められる建築」のことだった。結果彼の方が利口だった。当然、彼は出世した。
設計施工という、同じ会社で、職能の違う立場だったが、彼は設計の立場をよく理解してくれていたと思う。垣根を超えた判断をよくしてくれた。デザインを理解しようとしてくれた。彼が良いデザインとはなにか?を理解していたとは思えないが、設計者の想いは理解しようと努力してくれていたと思う。

フラットゼセッションの工事完成の頃の話だが
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ひとつのエピソードを思い出した。当時(20年前)宮沢りえのヌード写真集が話題になっていた。
当然私も一冊もっていたし彼も持っていた。その胸からおしりまでの身体のラインがきれいで、モンローラインならぬ、りえラインを型どってパイプ彫刻を造ろう、と考えた。鋭くとがった外壁の角の下に柔らかいラインを入れたい。それはまるで写真集にあった1ページ、ごつごつした岩石に食い込む柔らかい肌のような。相反するもの同志の対比。それぞれの個性が引き立つ。
安藤忠雄が自然の中に幾何学形態をとり入れるように。
予算の関係で金物彫刻を手すりの業者、谷口製作所に頼んだ。予算などある筈がない。しかし彼も当時宮沢りえが好きだったらしく、どんなものになるのか見てみたかったのだろう、回せそうな予算を会社に内緒に10万円だけ作ってくれた。こんな彫刻などなくても誰も困らないし、もともと予算にない工事、こういうところが彼の良い所だった。
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私は写真を拡大コピーし、原寸サイズのラインを描いて谷口さんに渡したが、パイプだけで10万円した。パイプを取り付ける基礎分が足りなかったから私が自らスーツ姿で穴をほじくりに行くと彼に伝えた。
あきらめる気がまったくなかった私に根負けしたのか、基礎は彼の号令で、現場監督(K)が作ってくれた。私の本気度を確認したかったのかもしれない。
意地でもやる、この姿勢でお互い、建物に向き合っていた。まだ技などない若造だったが、技以上に意地(志)というか執念が支えていた。


亡くなったと言う知らせを聞いてからしばらく心に穴が開いた感じがしていた。
先月、お見舞いに行った時、最後のお別れの時の、彼の力強い握手を思い出す、渾身の力をこめての握手だった筈、心の中で、「さようなら」と「ありがとう」と言う気持ちだっただろう。

20数年前、いっしょに造った建物の時のやり取りが思い出されるということは、結局彼は、私の心の中にずっと生き続けるのでしょう。
だからこそ、恥ずかしい建物は残せない、私があの世の世界に行ったとき、自慢できるくらいになっていなければ。

「ARCHITECT AS SERVANT」
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by sogatoru | 2013-10-01 17:27 | プロフィール | Trackback | Comments(0)